「気前が良い人」というと、出し惜しみせず、さっぱりした性格の人を指す言葉である。こういう人に私はどこか憧れを持つ。でも、憧れるけれども、中々自分はそうはなれない。なぜかというと、様々な物に執着してしまうからだ。悪く言えば、「自分第一」だから気前よくはなれない。
結局のところ、自分が満たされていないからこそ「何も失いたくない」と余裕を持てないのだろう。その満たしは案外、心の満たしを求めていることが多い。
だから、満たされるために私は教会に行くのだ。お金はないけど、せめて他のことぐらい気前よくなれるようにと願いつつ、み言葉を聞いて、心を満たされに行くのである。