「威」や「権」という言葉には人を従わせるという意味があります。たった一言で様々な意味を含むことのできる漢字というものは便利だなと思いつつも、誤認も多い言語なのかもしれません。
神の「威光」と言うと「神の輝かしい光」のように感じますが、「人を畏れさせ、従わせる力」です。何だかちょっと怖い感じがしますね。神の力が示される時、人は喜んで従うのか。逆らってはいけないと感じるのか。自らの信仰を問いただすと、案外に喜び一色ではないのかもしれません。信仰とはそのようにして、複雑なものでもあります。それでも信じるのは、「まぁ大丈夫だろう」とのん気に信頼しているからかもしれません。