「愚か」だと言われたら、私だったら結構ショックを受けるように思います。それぐらい、「愚か」というのは強い言葉だと思うのです。
聖書では割と「愚か」かどうかは言及されます。そして大抵は「愚か」だと言われる結果となってしまうわけです。中々手厳しいですね。
しかし、聖書は同時にもう一つのことを教えてくれます。たとえその人が「愚か」であったとしても、変わらずに神は愛してくださるということです。そのことを通して、自分が「愚か」かどうかばかり気になってしまう私たちを解放してくださるのでしょう。
愛があれば良いじゃないか。そう生きるところにこそ、真の豊かさがあると思うのです。