自分の痛みを誰かに伝えることは非常に困難です。相手が経験したことのあるものであればすぐに伝えられますが、そうでないものを口で説明することはとても難しい。
何よりも私たちは他人の痛みには鈍感です。誰かが怪我をしていたとしても、その痛みはあまり深くまで考え込まず、何となく「大変だな」ぐらいで処理してしまいます。
だからイエス様は十字架に架けられるという痛みを負ってまで、私たちの痛みに寄り添ってくださったのです。
誰かが自分の痛みを分かってくれる。それだけで、随分心は救われるものです。寄り添ってくれるイエス様を通して、一緒に癒されていきましょう。